ニューヨークの大手日系新聞「週刊NY生活」の、‘NY生活ウーマン‘ 特集記事に当校校長 名取由稀江のインタビュー記事が掲載されました。
以下、記事全文です♪
【ネイルの技術で日米の架け橋に】
ネイリスト
エンパイアニューヨークネイルスクール東京CEO&ファウンダー
ユキエ・ネイル・ニューヨーク経営
名取 由稀江さん
マンハッタンの58丁目、セントラルパークを臨むマジソン街とパーク街の間にある一等地に構えるユキエ・ネイル・サロンの電話が鳴った。フロント係が受話器を取ると相手は「いまからなんですが、ユキエさんいますか? もしいたら、いますぐきてもらいたいのですが」。相手の名前を聞くとレディ・ガガのマネージャーだという。その日の予約は詰まっていたが、午後からの来客は幸い親しい友人だったのですぐ電話で事情を説明してキャンセルさせてもらい、指定の五番街のホテルのペントハウススイートに向かった。通された部屋にはヘア、メイク、スタイリスト、フェイシャルの専門家がズラリと座って待っていた。レディガガ本人が現れるまで全員が2時間待たされたが、その晩のスペシャルイベントのためにニューヨークの一流のスタッフが揃えられた恰好だった。その中でネイルの指名を受けたのが名取さんだった。昨年春のことだ。名取さんの顧客には有名人が多いが、昨年秋の大統領選挙前には、サロンから3ブロック南の5番街55丁目にあるトランプタワーの住人でトランプ大統領の娘で現大統領補佐官のイヴァンカさんからネイルの指名もあった。「たぶん近かったからでしょうけど」と名取さんは微笑んで控え目にいうが、口コミや顧客ランキング「yelp」では常に高い評価を受けている。
もともと東京青山にある外資系ヘアサロンの美容師だった名取さんは、18年前に独立してネイルスクールを開校。6年前にニューヨーク店を開いた。日本で開発され、瞬時に乾いて3週間は長持ちし、お米もとげる強度の「ジェルネイル」がいま3000店はあるといわれるニューヨークのネイルサロンで主流だ。それを米国で広めた先駆者のひとりが名取さんだった。爪の1センチ四方程度がカンバスに表現するネイルアート。日本人ならではの繊細さと可愛いセンスが受けている。
年に6回は東京とニューヨークを行ったり来たりの忙しい毎日だが、今回はニューヨークファッションウイークで、ビヨンセの専属デザイナー、ラクアン・スミスやビビアン・フー、ハカン・アカヤのショーのネイルを担当する仕事と自らが校長を務めるネイルスクールの生徒たちを引率し、NYライセンス取得試験を受けさせる仕事で来米した。試験が無事終了し、生徒たちにディプロマが授与されて一安心。ニューヨーク最後の休日は、仲のよいNYの友人、歌手のAKさんと2人でギャラリー巡り。友人の展覧会などを見て束の間の自分の時間を楽しんだ。「ネイルを通じて日本と世界との架け橋になりたいです」と少し遠くを見るように話した。
(三浦良一記者、写真も)
日本のネイリストを育て、世界に羽ばたく道を作り続ける名取校長からの言葉です。
ニューヨークの日系新聞【週刊NY生活】に記事が掲載されました。
編集長の三浦様からのインタビューについつい熱い想いを語ってしまいましたが、このように素敵な記事を掲載して頂き感謝しております✨
日本で発展した独自のネイルが、一流を求めるニューヨークの女性からこれ程までにも支持されているのは、ただ一時の流行では無いことを確信しています。
技術とアートの水準、完璧さ、繊細さ、独自性、使用する材料や道具までをも極限まで追求する日本人ネイリスト。
これらに対する強いこだわりと妥協の無さが自信とプライドとなり、今や世界中から憧れの的となっている日本人ネイルアーティストたち。
それに加えてニューヨークサロンのスタッフ達は、
ニューヨークのお客様が求める美意識や基準を日々のサロンワークの中で経験し、
異なった文化を受け入れ、たくさんの人種の方に対応出来るスキルや接客を身につけているからこそ、サロンがこれだけの支持を集めているのだと思っています。
ネイル先進国と言われてきたアメリカで、独自の文化となりつつあるジャパニーズスタイルのネイル。
これからも、品質の高い国産のネイルプロダクトを使って、たくさんのネイリストさん達が海外で活躍出来るように頑張りたいと思います😊